2011年11月3日木曜日

錯覚

平日の朝、家から駅までの短い間いつも決まった時間と場所で決まった知らない通勤人とすれ違うコトがあります。日に連れ、通勤風景の楽しみにもなって、時に人間観察の見本になり、時に遅れの参考にもなったりして、薄ら親しい気持ちさえ湧き、お互いにいい「慣れ」だなと思っています。
けど、その逆のパタンも会いました。先日、通勤前寄り道があって、いつもより7、8分ほど前から出かけました、そして途中の違う場所で同じ人とすれ違った、向うも意識してて、俺の顔を見た瞬間、自分が遅れたと勘違いして、慌ててバス停に向かって走り出した(笑)おーい!違うぞと教えたいくらい…
普段の慣れって面白い、時に厄介なコトだなと思いました。
先週あたり、同類問題のおもしろい番組も見ました、五感の迷宮「脳が作る錯覚の世界」という、我々普段生活の中、経験や五感に任せ、アバウトな判断をどれほどあるか思い切り知らされて、良いショックを受けました。再放送あったら、是非見てください。ちなみにNHKより。

2011年10月10日月曜日

今回の連休は、小さな秋を探しに出かけた(笑)、
早朝3時、親友家族らと一緒に那須高原の「茶臼岳」へ出発。
朝6時前空が明るくなった頃、車が登山口に到着、早いと思ったら駐車場すてに埋まっいた、
幸い300メトル離れた所で駐車スペースを確保、太陽の昇頃と一緒に登山始めた。
ゆっくりで、二時間ちょっと尾根の山小屋に到着、
峰の向う、山中腹に見事な紅葉景色が広がっている、




2011年9月26日月曜日

違い

先日久しぶりに友人達と酒場で会いました。
席上日本の友人が親戚の話しを言い始めて、
そこから思わぬ展開で興味深い発見がありました。

この友人が両親の兄弟のせがれの話しをしだけど、
日本語中にお母さんとお父さん兄弟達の呼び名を共通で、同じおじさんとおばさんで呼ばれてい
るため、話しの進みにつれ、どっち側の伯父さんか、伯母さんかをわけ解らなくなってき
た(笑)
よく考えたら、中国語の中に母と父の親族など、各身分専属の呼び名があって、
呼び名だけでどちら側の親族か、かつ年上か年下かを一目で解ります。
日本語の中に、そう言う区別がなくて、
あえて分けようとしたら、住む地名付けか、名前を付けるかぐらいらしい。

同じ漢字文化圏なのに、なんでこんなに違うだろう
後日博学の知人に聞いたら、面白い答えが帰ってきた。
儒教の国では人倫を重んじて、その関連語彙もある程度に発達していると思わ
れています。そして日本人仕事勤勉のため、それなりに仕事関連の単語も豊富です。
例えば、仕事外勤務時間は、平日だと「残業」、休日だと「休日出勤」と言い分
けてます。
中国語の場合は平日休日関係なく全て「加班」一言で済ませてます(笑)、
あれ!そうしたら、我々は昔からの懶けものなのか…と自嘲!(笑)。

2011年9月19日月曜日

秋と梅雨

この季節はちょうどいい、特に天気の良い日が続いたりすると最高です。昼は少し汗ばんだり、夜はちょっとひんやりとして秋の気配を漂い、木々の葉はまだグリーンのまま残っている今の季節、心地いいです。

けど、好きな日本の季節を聞かれるといつも「梅雨」と答えています。別にじめじめな湿気を好むわけではなく、私大変好きな日本庭園が一年中この季節ではもっとも潤っていて、輝いているからです。
日本に来た最初の頃、季節変わる度に京都まで足を運び、いろんな名園の縁側で抹茶一杯しみじみながら季節コトの美しい一時を送っていた、比べて最終的にやっぱり梅雨が一番日本庭園に合うと思いました。

日本庭園に緑や花、枯山水など様々な造形があります、強い光を照らされると黒陰が邪魔して、折角な造形見にくくなっていると思います。梅雨時期の明るい曇った日に、庭全体がほどよい光に優しく包まれて、カメラ撮影のフィルター効果みたい、露出しぎなく、緑も、石も、アジサイももともと濃厚な色合いで自然のまま表現されていて、最高に美しいです。

そして、窓全開の縁側に座り、緑いっぱいの庭園を眺めて、涼しい風が後ろからすり抜けると、梅雨に適した日本家屋のすばらしさまでいいなと思ったりした。もし日本が梅雨の季節がなかったら、一部日本伝統家屋の構造が今の形と違ってくるでしょう。

2011年9月7日水曜日

秋の知らせ

昨夜晩ごはんの最中、一匹のトンボが部屋中に迷い来んできて、
盤旋してからランプの上に静かに止まっていた。
疲れ切ったのか、しばらく動こうとしなかった。

近づいて様子を見たら、トンボの胴体が淡い赤色に染まっていて、
童謡中の赤とんぼのようだ。
普段黄色のトンボをよく見かけるけど、
赤いトンボが今回初めて、意外な発見にやや驚いた!

カーテンを全開で、しばらくほっといたら、
知らぬ間にトンボが部屋から消えた。

夏の終わりを知らせてくれたのか、この赤とんぼが…

ベランダーを出て、月を見上げ、
外もう涼しくなり、秋の気配をすこし。
ふっと先日友人からの土産を思い出した、月餅。
今年の中秋節もうそこまで来ている、
(儒教の國では旧暦の中秋節になると、月餅を食べる風習がある)

今年家族からどん田舎の美味を送ってくれるかな……
思うだけで、わくわくしてきた。

2011年8月29日月曜日

2011年7月26日火曜日

再说中国新干线

这两天,世界媒体再次注目中国新干线,23日晚发生的追尾事件,满员的4辆车厢掉下高架桥,死伤者实际人数被隐瞒,事故车体被就地掩埋,事故原因的调查在非公开的情况下进行,估计最后官方公布的结果也只会是自说自话,为自己抹粉的答案。
几天来,各媒体的琳琳种种报道,对大陆政府的事故如此处理实在是压抑不住心中的愤慨。

一直以来,我以渗透我心骨的中华文化为荣,却不得不为政府的腐败体制之为而耻。

……

2011年7月16日土曜日

中国の新幹線

最近日中のメーディアは中国新幹線技術の特許申請問題で騒いでいる。

日本側は中国が技術のパックリと指摘、中国側は独自の技術と弁護し、両方譲らない姿勢で言い争っていた。日本普通の民放テレビや新聞では一方的な報道しかなくて、判断しずらくて、結局浅い面で論じることばかり。ますますわからなくなった。

今朝NHKの週刊ニュース深読みを偶然に見た、その意外のハッキリした論争に驚いた。
評論者は中国滞在何十年のジャナリストの方、と莫邦夫さんともう一人特許専門の世界弁護士、話によると、中国新幹線技術は日本から購入した車体技術上での改良したものた、ただ、その改良された技術の素晴らしさも明らかだ。

独自かどうかを、どの部分の技術に対するの特許申請内容が時期に分かるもので、世界の審査機関で決めるもの、今争う必要もないし、論じる必要もない。

それに新幹線の技術は車体以外、運行システムや、基礎建設などいろいろあって、その運行システムのノウハーはアメリカのある会社の協力の元で作ってますので、すばらしいものです。その運行システムこそ、将来中国の高速鉄道を世界に売り込む時の基本になっていて、ロシアや東南アジアに広がる際に運用する基礎なので、それは今回世界特許申請の狙いの1つもの言えるです。

一方、中国側は今回の騒動で、メディアから厳しい意見を出回ってます。
その一因は長い間の腐敗問題で、民間人に積もった怒りの現れ。最近新幹線のトラブルの原因は絶対に官僚たちの腐敗と関係あると人々は思っていて、技術の盗用については、そこまで自信もないのが確かだ。
政府の腐敗はあると思いますが、庶民たちはただその叱りを新幹線事件を借りって政府に不満を言うだけ。ただ、実にかわいそうなのは頑張ってる技術者たちだ、誇りに思う偉業を成しとけたとは言え、膨大な工程の中、腐敗の官僚が居れば、真面目な方かがたくさんいたけれど、結局の所腐敗工程の上着に着せられ、惨めな形になりつつである。

日本は素晴らしい技術力たくさん持ってますけど、その技術力を市場と結ばれなければ意味がない。沢山の特許を申請もってますけど、その特許の運用をまだまだ欠けている。

中国はこれからますます成長しますけど、急成長の故に、未解決なソフト面な問題も山積み、庶民の心に詰まった怒りをいかにいいエネルギにかわり、國を健康に前に進んでいくか、世界に向けて傲慢ではなく本当の自信を持って立つのか、楽しみに。

2011年6月1日水曜日

交流




家内と違って、最近のテレビ番組をあまり好きじゃない。
だけど、仕事の準備無かった日には、夕飯後ほぼ彼女付き合って二人ソファーでテレビ番組を見てる。
ただ、最近番組をつまらないと感じたらすぐipadに手を延ばし、ソーシャルネットソフトや、ネット情報を弄ったりしてる、パソコン前での作業と違って、妻の側にいながら二人は違う世界で楽しんでいた。悪気しないが、気がついたら一晩中に二人が会話がなかった時もある。

先月ipad2を購入し、二人ともアイバット族なった。一ヶ月経った、ある日ふっと気がついたこと、いつものゆったりした夕飯の後、二人でソファーで寛ぎ、テレビが賑やかに流れてて、ただ二人誰も番組を見てなかった、各自手元のipadを集中し、自分の世界で楽しんでいた、二人は同じソファーを座りながら、テレビを付けながら……

なんと言う皮肉の場面だなと思った、一瞬。
二人は懸命に先端機器を使って自分のコミュニケション幅を広げようとしてるが、周り人間との基本的な交流が知らぬ間に冷ややかされ始めていた。

2011年5月31日火曜日

ホタル狩り

そろそろホタル舞う季節をやってきる、先週から気象庁が関東地区梅雨入り発表し、東京西の山沿いまで近いうちに足延ばそうと、思うだけでわくわくして来た。

ネット上minoltanさんのブログから綺麗なホタル写真を

晴れる

あれ以来数えたらもう半年経った、未だに未解決のまま日にちを流れている。
不安が徐々に底からじんわり沸き上がってきて、時に溺れそうに、そして麻痺してしまいそうで。
振り向く、我が人生が一定の時期でこの状況が現れていた、当時どう打破したか、記憶がない、などなく流れてなんにかと巡り会えた。

今回はパートナーの支えがあって、ここまで出来た。
言葉に言い出したことがないが、ココロから感謝をしてます。いつかが恩返しを…
そして、早く晴れ晴れるように。

2011年5月27日金曜日

近代中国に君臨した女たち



BSまた面白いシリーズをやってます。近代中国に君臨した女たち
中国の歴史人物だけど、政治理論などいろいろの関係で中国国内テレビが出来ない視点と観点が結構あって、なかなか新鮮かつ客観的でもあります。

個人的に第三回と第四回は面白かった、歴史好きな自分にも知らないエビソードや何個があって、その時代に翻弄された女達の全面像を見えたような気がする。

2011年5月18日水曜日

廃仏毀釈

自分の勉強不足で、「廃仏毀釈」という言葉知ったのがついこの間のことだった。

BS知らせざる在外秘宝の番組で、時代に翻弄された浮き絵師たちの話を聞き、驚いた事に今まで明治維新という言葉にマイナスのイメージをばかりに、実に陰に伝統文明を否定するような運動や、風潮が数あります、そしてその結果は西洋文明に目を向くばかりに、自らの文明財産を惨めな待遇に会いて、大量に海外に流失してしまったのです。同時に廃仏毀釈も起こっていたいました。
残念な事に、我が国にも近代社会になった時期に同様なことを起こりました。
愚かな人間は、みんな同じだなと思いました。

孔子復活(中译)

試して、先日の日本語版の「孔子の復活」を中国語に訳しました、
序でに国内の友人らにみせるつもりです。

孔子的话题。
今年1月11日,在天安门广场,中国国家博物馆北门广场东侧安置了一座高9点5米孔子塑像。因为这个特殊位置而引起外界的关注。
巧合的是2011年是辛亥革命百年纪念。发生在1911年的辛亥革命,推翻了中国历史上最后一个王朝,把中国推上了现代国家的轨道。持续了数千年的政权垮了台,同时附之其上的价值观体系也随之瓦解。以孔子为代表的儒家传统价值观,因此被迫进入低谷。辛亥革命后,新文化运动和1919年五四运动都将孔子树为典型,尖锐谴责传统价值体系。如此,孔子的批判持续了一个世纪。20世纪60年代和70年代文革时期,对儒家的价值观的否定更是达到了高潮。
辛亥革命后整整100年,历史的钟摆再次回到原位。中国的GTP跃升世界第二的2011年,也许是历史的巧合,这个时期孔子再次站立在了中国北京的正中心。更讽刺的是这个孔子像,竖立在临死前都在批判他的毛泽东​​的纪念堂斜对面。不知道躺在纪念堂里的毛泽东是怎么想的了。

已故的哈佛大学教授亨廷顿在著作[文明的冲突]一书里,刊载着20世纪20年代当时世界各国在势力图。如示,辛亥革命时期的世界已经被西方的文明浪潮所吞没。亚洲和非洲等被涂成黑色的地方,已被开拓成了殖民地。中国也被逼到了殖民化的边缘。
为了与西方文明对抗,每个人都极力想拥有与西方文明同等力量的文明在手,为此他们毫不犹豫地抛下自己的传统文明的盔甲。看看当时的中国,连汉字都有被废止的危险,孔子的受难也是必要性的结果了。然而接手西方文明,换之自己的价值观体系的瓦解,同时也是心灵的迷失,这个损失是巨大的。在这个意义上说,孔子的灾难也是中国人心灵上的灾难。

一百多年后,达成了经济飞跃的中国面临的重要问题是,被解体后的价值观体系的再建。正因为GTP升至世界第二位的现在,心灵上的漏洞才更加明显,也更有切身的体会。可是,价值体系的重建并不是说返回到原来的价值体系,这么简单的问题。通过与西方价值观的融合,弥补两者之间的对立冲突,创造出新的价值观体系才是关键。这里需要的是儒家思想的宽容和智慧。

论语里有孔子及其弟子这样的对话。
子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、素以爲絢兮、何謂也、子曰、繪事後乎、子曰、起予者商也、始可與言詩已矣。子夏就诗经的一节[巧笑倩兮、美目盼兮、素以爲絢兮、何謂也]求教孔子。本来这是首君王赞美妻子诗​​歌,白绢上描绘妻子迷人的微笑,美丽明亮的双媚。孔子回答说,画是画在白色的绢绸上的。于是有门徒问道,教养的顺序是先学礼仪还是先学习知识。孔子很高兴这个弟子疑问并称赞道,看来你可以和我探讨论诗了。

孔子是想说,礼仪是社会生活的规则规范,是作用与人类的理性。就像画美人图,为了凸显美人,就必须在白色的绢绸上作画。理性的学习也是要在具备了丰富的情感和灵敏度之后才能修道的。
儒家经常被误认为是僵硬的礼仪形式,从这个对话中可以看到,孔子思想里的礼仪,换言之人类的理性行为,是以丰富的情感和灵敏度为基础的 。

从孔子的其它的篇章里也说道。在人的成长,首先要学习诗歌,培养丰富的情感。其次的步骤才开始学习理性的礼仪。最后学习音乐,将感性和理性融合。

子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者。
认知了一个事物的时候,起初还只停留在表面,所谓理性的阶段。
等你开始喜好它,事物的感性反映,感性和理性才开始结合。
再进一步喜好的话,自己和事物将会和二为一。在此你才开始对其有了一个完整的知识。如此儒家的智慧,并不是理性主宰,以感应为基础的理性与感性,身体和思想想融合的智慧,是非常具有包容力的。

中国目前面临的困境是,无法简单的将西方社会的个人主义,政治体制,以及西方文明的价值观体制原封不动的移植而来。但也不能返回到父权社会的体制下再提倡忠孝之道。为了避免沦为西方文明的殖民地,中国人主动地脱下中华文明的盔甲,穿上社会主义装备,但它多少也该知道,所谓的社会主义其实也是西方文明的产物。
社会主义和资本主义是源自近代西方文明的同卵双胞胎,世道今日再从社会主义象资本主义转变,对现在中国来说是个试炼。
而且,尽管近代西方文明有许多中华文明无法比拟的长处,但西方文明自身的缺陷和限度,已被西方人所广泛认知。如果此时依旧单纯的导入其价值观,该不是中国的明智选择。
现代社会所面临的心灵上的,人类与环境的各种人类危机,儒家的所推崇的理性和感性,肉体和精神的融合,被越来越多的人所注目。
再次重视儒家思想融合,包容的高度智慧,平衡融合传统价值观体系和西方文明的价值体系,才能产生新的价值体系,它可能是中国最好选择。
要做到这一点,需要从传统中汲取新的创造力,需要一个21世纪的文艺复兴,恰恰在这个时期孔子复归了。孔子的复归是否是21世纪文艺复兴的先兆,这一切令人期待。

2011年5月17日火曜日

孔子復活


今月の頭頃、教育テレビの視点論点の番組で孔子復活という話を聞きました。
解説者は同志社女子大学朱捷教授、同じ中国人なのか、凄く胸に響く内容でした。
一週間待ちで解説内容のホームページ上にアップされた、早速転載させていただきました。
以下の内容です
今日は、孔子復活という題でお話しさせていただきます。
今年1月11日に、天安門広場の東側、中国国家博物館北門の広場に、高さ9.5メートルもある孔子の銅像が立ちました。場所が場所だけに、内外の注目を集めました。

奇しくも2011年は辛亥革命百年にあたる節目の年です。1911年に起きた辛亥革命は、中国最後の王朝にピリオドを打ち、中国を近代国家のレールに載せました。
数千年も続いた政治体制の崩壊は、もちろんそれだけにとどまりません。それに付随する価値観体系の解体も起こしました。孔子を象徴とする伝統的な儒教的価値観は、これを境目に下り坂の一途をたどります。
辛亥革命に続く新文化運動や1919年の五四運動はいずれも孔子をつるし上げ、伝統的な価値観体系を鋭く糾弾しました。
孔子の受難はほぼ1世紀もの長きにわたりました。儒教的価値観に対する糾弾は、1960年代から70年代にかけての文化大革命でふたたびピークを迎えます。
そして辛亥革命からちょうど100年が過ぎた年に、歴史の振り子が揺り戻されてきました。中国のGDPが日本を抜いて世界第二位に躍り出た2011年に、歴史の偶然というにはあまりにもタイミングがよすぎて、孔子が北京のど真ん中に立ったのです。
さらに歴史の皮肉といっていいのか、孔子の銅像は、死ぬ直前まで孔子批判に余念がなかった毛沢東の遺体が横たわる毛沢東記念堂のすぐ斜め向かいに立てられています。記念堂の中の毛沢東はどんな思いで見ているのでしょうか。
故ハーバード大学ハンチントン教授の著書『文明の衝突』に、1920年代の世界の勢力図が載っています。それを見ればわかるように、辛亥革命が起きたころの世界はほとんど、西洋文明の波に呑み込まれていました。アジア・アフリカの黒く塗っているところはみな、欧米に植民地化されていました。中国は植民地化される一歩手前でぎりぎりに踏みとどまるのに精一杯でした。
西洋文明の大波に立ち向かうためには、西洋文明と同じ文明の利器を手にしないといけないと誰しも思い、自らの文明の鎧を脱ぎ捨てるのに躊躇がありませんでした。漢字すら廃止されようとしていたなかで、孔子の受難はいわば必然のことでした。
しかし、西洋文明の利器を手にした引き替えに、価値観体系が解体し、それによって心に大きな穴が空いてしまったことなど、失ったものの方も大きかったのです。その意味において、孔子の受難は中国人の心の受難でもありました。
そして百年後、経済の躍進をなしとげたいま、中国が抱えるもっとも大きな課題は、解体された価値観体系の再建です。心に空いた穴の大きさや深さは、GDP世界第二位に躍り出たいまこそ、身に染みて感じられています。
しかし、価値観体系の再建は、単純にもとの価値観体系に戻ればいい話ではありません。西洋文明の価値観体系を自らの中に取り入れて融合させて、両者の対立を乗り越えたうえ、新たな価値観体系を創出することができるかどうかが問われます。ここで必要とされるのは、包容力に富んだ儒教の智恵であるように思われます。
『論語』には、つぎのような孔子と弟子の対話がありました。
子夏(しか)問うて曰(い)わく、巧笑倩(こうしょうせん)たり、美目(びもく)盼(はん)たり、素(そ)以(も)って絢(あや)を為(な)すとは、何の謂(い)いぞや。子(し)曰わく、絵の事は素(しろ)きの後(のち)にす。曰わく、礼は後(のち)か。子曰わく、予(わ)れを起こす者は商(しょう)なり。始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。(「八佾第三」)
弟子の子夏は、詩経の一節、「巧笑倩たり、美目盼たり、素以って絢を為す」の意味について尋ねました。もともとは君主の奥方の美しさを讃えた詩であり、笑う口元のあでやかさ、ぱっちりとした目の美しさを白き絹に描くという意味でした。
弟子の問いに孔子は、絵というのは白い生地のうえに描くのだよ、と答えました。すると、弟子は、それでは教養の順序でも礼についての勉強はあとの方でするのですか、とまた質問しました。この弟子の言葉が孔子をすっかり喜ばせました。おまえとこそ詩を論じることができるのだ、とべた褒めしました。
なぜなら礼は社会生活にかんする規則や規範で、人間の理性に働きかけるものです。美人を絵によっていっそう際ただせるのに、白い絹の生地を用意しなければならないように、理性にかんする勉強も豊かな感性や情感を備えてからの方がよい、と孔子は言いたかったのでしょう。
儒教は堅苦しい礼儀作法だと誤解されがちですが、この対話からもわかるように、孔子が考えていた礼、いいかえれば行動基準についての人間の理性は、豊かな感性や情感にねざしていたのであります。
これは、つぎの孔子の言葉にも見て取れます。
 子曰わく、詩に興(お)こり、礼に立ち、楽に成る。(「泰伯第八」)
人間形成において、まず詩を習い、豊かな感性を身につける。そのつぎのステップとして理性にかかわる礼を学ぶ。最後に音楽を学び、感性と理性をひとつに融合させるのです。
このような感性にねざして、感性によって統合される音楽的な知のことを、孔子は別のところでこう語っています。
子曰わく、之(これ)を知る者は之を好む者に如(し)かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。(「雍也第六」)
あるものを知っている時点では、そのものはまだ自分の外にあり、理性のレベルにとどまっています。好むようになると、ものは感性に響くようになり、感性と理性は歩み寄ります。さらにそれを楽しむことができるようになると、ものと自分の距離がなくなり、完全にひとつに融けあうことになります。ここにいたってはじめて究極の知が完成されるということです。
このような儒教的な知は、理性が優位に立つ知ではなく、感性にねざしつつ感性と理性、肉体と精神の融合を目指す知であり、非常に包容力に富んだものです。
中国がいま直面しているジレンマは、個人主義から欧米式政治体制まで含む西洋文明の価値観体系をそのまま移植するわけにもいかず、かといって親孝行をベースとする家父長制社会に戻るわけにもいかない、ということにあるでしょう。
西洋文明の植民地を免れようとして、中国人が自らの文明の鎧を脱ぎ捨て手にした武器は社会主義でしたが、気づいてみれば、その社会主義も西洋文明の産物でした。
社会主義と資本主義は近代西洋文明が生んだ一卵性双生児なので、いまここで社会主義から資本主義に乗り換えても、中国にとって近代の超克を実現することにはなりません。
それに、近代西洋文明が中国文明にない長所をたくさんもっていることは、いうまでもありませんが、西洋文明の欠陥や限界が西洋人自身の目にも見えてきたいま、単純に西洋文明の価値観体系をそのままとりいれることは、中国にとって選べない選択肢でしょう。
むしろ現代が直面する人間の心の危機や人間と環境との危機などさまざまな危機に、感性と理性、肉体と精神の融合を目指す儒教的智恵が見直されるべきと考える人が増えています。
融合性、包容性の高い儒教的知恵に立ち返って、伝統的価値観体系と西洋文明の価値観体系との融合をはかり、新しい価値観体系を生み出すことは、中国にとってベストの選択になるかもしれません。
そのためには、伝統から新たな創造力を汲み取る、21世紀のルネッサンスが必要とされるでしょう。このタイミングに孔子が戻ってきました。この孔子の復活が21世紀ルネッサンスの兆しとなれれば、と期待したいところです。

2011年5月14日土曜日

微博

最近经常使用中国@围脖@,和远隔千里的国内的友人朋友们,同时间的交流,很是有趣和刺激。国内的文人墨客,和有名没名的人都积极地发布,对情报信息地获得来说到是个捷径。省了我不少事儿。
有优秀的文章和小感,也有精美的照片和影像,更有丰富的幽默或小品。
今天就截到两个小玩意儿!



中国版トランスフォーマ

中国北部の町にある芸大学生の卒業作品を繁華街に展示されてます。
中国人なら誰でも知ってる「解放車」をモチーフしたので、外見から親しみがある。頭の部分が三国志の関羽をモチーフし、少々無理がある。
だが、全体の完成度もかなり高くて、クール!と思います。





2011年5月9日月曜日

静かな山奥





大型連休の最終日ふたりで山の奥を行きました。春を探しに。
東京西部八王子や青梅市あたりの山に、お寺が数多く点在し、都心の寺と違い、雄大の山々を借景し、静かな佇まいが特徴で。敷地に入り途端、穏やかな気分になれます。

山に万編なく埋め尽くすツツジの花、錦繍のように彩る。

寺裏庭で静かに、気品高く咲いているボタンの花。
もしその美しい容姿を人にら見れず、寂しい思いをさせただろうかと密かに思ったりした。

裏庭の小径、毎日静かに登り、花や草、樹木に降り注ぐ柔かな光り、虫や昆虫だちはここの住民、小鳥は常連、人間なら邪魔者になる、という気持ちの感じがした。

2011年5月7日土曜日

ツツジ


青梅市の塩船観音寺公園までツツジを見に行った。
何年か前行った事があったが、ややシーズンを遅れて、綺麗ではなかった。
どころで、寺のお坊さんの話によると今年の色合いは史上最高の出来だそうで。
丁度空が曇りで、明るめの、忠実に濃厚な色合いを再現できた。
何枚か写真を撮りました。

2011年5月5日木曜日

新番組


このシーズンから始まったNHKの新番組、新日本風土記を拝見しました。
素晴らしい風光とわかりやすいナレーションでついつい見てしまった。
特に最近二三日前放送した城の特集、これからも注目するでしょう。

2011年5月1日日曜日

久々の自己撮り

ipad2を購入後、この二三日休みを利用して存分に楽しんでいる、今日アプリで変顔を何枚が撮りました、子どもっぽいと思って最初いじらなかったが、やり始めるとなかなか思い白いものだ。そして調子に乗ってフェスブックや、MSNの写真を一気に変顔に変更した。ははは。

2011年4月30日土曜日

The Royal Wedding



さすが大英帝国、昨日のロイヤルウエディング生放送を見てしまった、3時間余りで。最初はSHOWを見るような軽い気持ちでいたつもりだが、段々段々、厳粛な宗教儀式と英国独特な王家文化に感嘆し、いろいろ考えさせられた。
同じ英語文化圏、アメリカとイギリス、皇室有無で國の魅力と厚み、その違いか納得したところもあった。BBCの精錬な放送技術と解説(英語精通友人の情報により)のお陰かもしれないが、今回の世界中20億人も同時に目にした生放送、王室そしてイギリス國のイメージを相当アップしただろう。

僕にとって一番感銘受けたのは公爵お二人の幸せより、イギリスの伝統、輝く皇室文化のほうだった。ユローバ代表的と言っても過言ではないが、宗教国家、神の存在が今までないリアルに目撃した。そのズシリの重みをテレビの画面から伝わってきた。王権文化とキリスト教文化をない我が国の僕に、異文化をもちろんのこと、なにより英国民の誇りを感じた。
なんかチャンスあったら、その宗教國を訪ねて見たくなりました。

2011年4月23日土曜日

九州新幹線全線開通CM

JR九州新幹線全線開通CM。皆さん喜びの素晴らし笑顔をみて、なんだか感動した、特にこの時期に。日本のみんなさん、特に東北のみなさんが早く元気になって欲しいです。ココロから。





2011年4月22日金曜日

海外

しばらく前からよくソシャルナットワークソフトを使うようになった、毎日自分気に入った人物や情報紙のメッセージを見聞き、普段の私生活と離れた日常や観点と意見を取り入れることが出来て、生活の端が広くなったような気がして、楽しくてしょうがないです。

僕が勝手に人に呟きを覗いてる間に、僕のことも知らない人たちに度々覗かれてます。少し前に好奇心に溢れる国内の若者に聞かれた、日本ってどんなところですか?イメージ通りの「外國」ですか?こういう素朴過ぎる問題にいつも戸惑いがあります。なぜかというと、長い海外生活というのは夫婦生活ようなもんで、最初なんか来かけて惹かれたんですが、年月に経つと必ず善し悪しがどんどん表に出てきて、嫌にならない限り、簡単に一言で結論することが難しものです。

日本が僕の第二の故郷に言っても過言ではありません、人の人生、黄金期は30か40年くらい、その中僕も既に三分の一くらいの時間をこの國で費やしてます。これからもチャンスに恵まれたらされに続くことになるでしょう。

昔の僕中の概念は、先進國が産業革命や経済活動により、一般的に自然と対立するイメージがあるけど、実際に来て見た日本の印象は全然違って、どこに行っても自然だらけでした。人々がココロから自然や緑を愛して、大事にしてます。多分ほかの欧米の先進諸国も同じだと思う。

2011年4月19日火曜日

八重桜







東京のソメイヨシノを落ちる頃、八重桜が綺麗に咲き始めている。
今回写真の対象は北区赤羽台の古い団地、このあたり三十なん年前から団地の始まりとともに多種のさくらを所ところで植えられていた。今日になるとみんな立派な巨木になって、毎年周りを賑わせいた。

2011年4月14日木曜日

花見

先週末京都を行ってきた。春の都へ、花見に行って来た。
伏見区の醍醐寺、二条城、京都御所、平安神宮、蹴上、市内祇園周辺
二日間結構の名所にぐるぐる回って、体力を尽きるまで、お花を嫌になるほど見て来た(笑)。
口はそう言うんだけど、ココロにはまた満足してません。どうしてというと、今回に旅はやや季節遅れて、さくらメインの枝垂桜の満開を見れなかった、全部落ちたわけじゃないが、貧相な感じを大変印象的で、圧巻の美しいとはかなり程遠いものでした。気持ちはちょっと残念です。また今後機会ありましたら、また満開の時期で感動されたいものです。

後日休みで、東京近郊の小金井公園に行って来た、意外にイメージ通りの庶民派なお花見を体験してしまった。東京建物園の正門外側立派な巨木五、六十本植えられて、その下に皆家族連れてワイワイ楽しんでいます。20メートル高さの巨木が一斉に満開に向かえ、遠くから花の壁に見えて、かなりの迫力をあります。その気魄ある景観を写真に収まったので。



2011年4月6日水曜日

2011年4月5日火曜日

春の色



地震、津波や核汚染のことばかりの今年の春、平年より少々遅くなりましたが、
東京駒込の枝垂桜もう静かに見事の満開です。今朝写真撮りに行って来た。
慣例9時開園、その前にすてにドア開き、カメラマンもうたくさん集めて来た、
皆さん規則よく離れて全景の桜景色を撮ってる、俺も急ぎカメラを構えカチャカチャ収まり始めた。しばらく9時過ぎた頃、隅に立った管理員さんがみんなに向けて話した、
「9時前は桜に近寄らないように撮影してください、9時以後近く寄っても大丈夫ですよ」
なるほど、だから皆さんこんなに秩序よくなのだ。
素晴らしい管理体制、カメラマンの思いを解ってるなあと感嘆した。

帰り際、プロのカメラマンに目指す知合いと彼の師匠と出会った、向うは取材の撮影。
意外の巡り会えで、僕は驚いた。こんな大都会のなか偶然にも会えるもんだなと、不思議なもんです。簡単な挨拶後、仕事場に向かった。

嫌なことばかりの世の中、今日はさくらのお陰ていい気分になってきた。

2011年4月4日月曜日

感嘆

昨夜USTで生放送された田原総一朗×孫正義×田中三彦×後藤政志との緊急対談を見ました。
やぁ〜!孫さんの素晴らしき人間性に感嘆しますね!これほど影響力もつ社会人が、勇気ある行動と鋭い洞察力、そして少年のような熱いココロの持ち主の魅力に圧倒されました。
普通の媒体だと言えないことを素直い、すっぱりココロまで届いて、
政府の「規制」に従わなきゃいけない大手メデイアたちが恥すべき。


放送途中田原さんのキャラクタにややうるさく感じたが、その後ネット上のバッシングもすごかったが、まぁ、彼なりの表現方法なんで、軸をぶれなかったら全然いいと思います。


ソフトバンクを携帯を繋がりにくいという評判あるけど、孫さんの人間性にほれて他社の製品がこれから目に入れなくなると思う。

2011年3月22日火曜日

回复

说道国人对这次核泄露事件的反映,的确让人苦笑不得。

海啸后,马上给家人电话报了安,但还是架不住国内新闻滚动式的过激演义,
家里人都认为是东京被水淹了,侄女在msn里甚至都急得快哭,
认为我的冷静是因为,这里的政府隐瞒事实真相,整个东京其实早都被核污染了之类。
真是让我这个在东京生活人不知到该怎么解释才好。

这里有内地媒体煽情报道有责任,新闻报道如果做不到清晰准确,自然会造成误导。
加之国内社会整体信用低下,除了自己,没有可以信任的。也只好故眼前利益了。
以核辐射问题做例,发生在中国和日本,同样的管方发布的大气污染度的报道,
日本大众对媒体的信用度估计在80%左右,国内的话估计50%以下吧。

说到盐荒后对国人的自我调侃,到让我想起很久以前的一个报道。
上个世纪七十年代,日本高度经济发展也有过以环境污染为代价的经历。
南方四国岛的一个小镇由于工业废水污染了地下水源和附近的海湾生态,
鱼死了,海草枯了,当地人都因为水银中毒得了水吴病,被迫背井离乡。一个城市就这么亡了。没有了人烟的生计。
四五年后,当考察人员回到当地勘察,发现了一个不可思意的现象。
海湾里的一种固有的菌类居然为了适应污染的水质而进化,具备了分解水银成分能力,使得海湾恢复了以往的活力,
鱼又多了,海草也丰富了。有什么力量能比得上自然自己呢。

好莱坞的灾难片里常有这样的设定,经过多年的战争没有了山川河流,都市成了沙漠,沃土成了焦土,只有人类还在生存。
哪儿有这样的可能!没有了健康的土壤和自然,人类哪来的生存呢,人类的繁衍该是在自然,绿草,河流之后,该是建立在自然生态的基础上的。
人类发明了农药,许多人都想将来不用为农作物发愁了;
看到电视里发达国家奔驰如流的汽车,许多人在想将来的生活该是便利无比的;
有了核电能源,该是给经济大力发展奠下了坚实的基础;
可还是有一天,大家也都发现这些发明的负面作用更影响和制约着我们。


说道人的欲望无止。
我真要佩服你的自我约束,换了我,一定受不了照相机的诱惑,一发而不可收拾。说不定还会因此坏了大事。
比起你来,这方面我还仍旧是个井市小人哪。兄弟佩服!

友人からの手紙2

…其实我是想告诉自己,人的欲望是无止境的,一旦跨出这一步,我永远都无法满足…

友人のこの言葉、丁度今の私のココロに響いた。
同じ状況に置かれた場合は、オイラはきっと迷わず欲望に走っただろうか。
もしかしてすこしで治まらぬ、抜けられなくなる可能性もある。
何時からこうなったんだろう、どうして気付かなかっただろう、四十前の私に考えさせられた。

友人からの手紙

今天是日本大地震后的第10天,每从电视里、还有你传来的照片中看,真是满目仓夷,日本是个发达国家,又是个多灾国家,对生命的重视和防灾的准备水平都应该很高,但是在自然面前依然是不堪一击。人自以为很强大,其实在大自然面前很渺小。

我们小时候恶作剧,用沙土把蚂蚁围起来,然后撒上一泡尿,淹死一大片,这情景何其相像,无意亵渎逝者,只是感慨人的渺小。

但是没有身处其中的人依然狂妄,昨天早上美英法又干上了利比亚,说什么保护利比亚平民,连鬼都不会信,无非是石油,无非是让不听话的卡扎菲滚蛋的好机会眼看就要溜走了,只好赤膊上阵了。

打了又怎样?人究竟要往何处去,要得到什么,想要得到全世界嘛,不可能!美国的衰落也只是时间问题。全球变暖,灾难频发,战火不断,美英法这些文明国家,从鸦片战争以来2~300年一直干这种勾当,世界被他们打太平了么?

前两天突然全中国开始抢购盐,一说是加碘的盐能防辐射,另一说是再过些天晒盐的海水都要被污染了,于是得加紧储备,抢不到盐的,就抢酱油、海带、紫菜,大多数中国民众的盲从和无知真是让人哭笑不得。

过不了多久,短信就开始调侃,中国人不用那么紧张,因为中国人是世界上抗污染能力最强的,三聚氰胺奶粉,舒丹红咸蛋,化学火锅,镉大米,避孕药增肥的黄鳝,地沟油炸的油条,中国人啥没吃过。

传说,有一回中国人去朝鲜旅游,吃到了雪糕,感动得掉下眼泪,那才叫雪糕,那才是记忆中儿时的味道——朝鲜人在食品制造上显然还不太会造假,雪糕都是真材实料的。

前两天核泄漏事件持续升温,网上说很多富人都逃离了东京,有些替你担心。不知道你是不是会暂时回国一段时间。

关于核电,中国现在发展了好多好多,各个省都把第十二个五年规划目标定在年GDP增长12%,大多数城市,都把自身定位为建设国际大都市,要发展,更要快速发展,官员才有政绩。但是那需要大量的能源消耗来支撑,需要大量的环境污染为代价。

中国政府也意识到,我们的资源支撑不了我们消耗,但,问题是,谁愿意跑得慢一点,就像现在的中国人,谁不想马上出人头地,谁不想马上一夜暴富。曾经有一篇文章说,中国人已经失去了慢能力,人心都很浮躁,我想我、我们身边的人大抵确实是这样。

我看到的最浮躁的人群,是现在的差头司机。上世纪八九十年代他们也曾经风光一时,但如今他们每天起早贪黑地佝偻在铁笼子里辛苦干活,经常饿肚子、憋尿、无聊,看到无数的声色犬马、五光十色却都与己无关,越来越多的私家车让他们生意越来越难做,越来越多的黑三轮让他们的生意越来越难做,越来越高的油价让他们的生意越来越难做,现在这个人群,大抵上是这个社会上最没有靠山,最没有门路,最不会见风使舵,最没有技巧的人群了,跟旧社会的黄包车夫大地相仿。

千万不要得罪他们,他们愤世嫉俗,他们破口大骂,因为生活让他们变成了火药包。

………

我现在没有太多的业余爱好,工作总是很忙,虽然只是为了赚一份工资,但总是得认真地去做,而且现在多少算是个管理者,有时很多事还得操心,在企业搞宣传,有时经常和政治沾边,算不是国家的大政治,而是企业的小政治,比如说,某个新闻稿,领导的排序弄错了,就会让你吃不了兜着走。再比如,某领导是副的,你开口叫一定不能带副的,否则给你脸色,但是你书面写,一定不能把副字漏掉,否则同样给你脸色,凡是种种,像我这种不太善于察言观色、曲意迎合的人,常常领导脸拉长了还没察觉 -(

闲时我陪着家人,逗女儿玩,为她现在的无忧无虑开心,为她将来要面对这个一个纷繁复杂的世界操心。

如果说,还有什么喜欢的事情,一是看数码产品,经常在网上买些乱七八糟的东西,二是看电影,有时网上下,有时也买盗版碟,不过现在好的盗版碟越来越难买,因为大多数人都去网上下载了;偶尔也喜欢和朋友打打牌,小赌一把,不太在意输赢,也不上瘾,有时纯粹图个热闹。我所有的喜欢,都是淡淡的,只是消遣。

前些天做一本书的策划,由于数量比较大,对方公司跟我说别砍价了,看我喜欢摄影,还在用老掉牙的D80,送我一台大概是EOS-5D之类的佳能相机,3W多的,而且告诉我,他们图片公司与佳能公司有合作,会有一些新机试用,就让我一直试用着好了,一点危险都不会有。

我还是跟他们说,我无福消受,EOS-5D之类对我来说太好了,我的水平用D80已经差不多了。其实我是想告诉自己,人的欲望是无止境的,一旦跨出这一步,我永远都无法满足。

………

呵呵,话很多,但有时工作压力、生活压力确实挺大,很多事烦心,否则我在你面前会是个话痨。闲说一些,有些晚了,以后有时间再唠。

祝一切都安好。

2011年3月19日土曜日

地震から原発

先日友人の携帯に電話したら通じなかった、
きょう中国からのその友人のメールを届いた、もう國へ避難したの知らせたった。
お子さん連れの母のみなので、大変だっただろうなぁ。

連日の原発騒ぎで関東にいる外国人が不安のあまりで海外避難する人が空港に殺到。

今の所東京は大丈夫、
この二三日、都民の買い占め行為が政府の呼びかけによりすこし治まった。
昨日からIAEAもう東京入りし、各地の放射能汚染状況を日本政府と一緒に公表しており、
今の所は東京都内はまだ安全のことを発表してましたので、ひと安心。

今回の事件で中国国内の報道がちょっと騒ぎすぎ、
日本の冷静さと比べてなんか「みっともない」と思うところがある。

事態まだまだ進行中、読めない所も結構あるが、
なんとか早く治まったらいいなと祈ってます。

2011年3月13日日曜日

大地震



先週末金曜発生した東北地方太平洋沖地震、その後の津波被害、この週末にかけてテレビで連続報道されています。衝撃映像の連続で、胸が痛くなるほど…
史上最大の地震を世界にも注目され、
中国の家族と友達らも心配のメールや電話を掛かって来た。

災害地の皆さんが早く立ち上がれますように、祈ります。
これからの余震も東京に影響をしないように。


2011年3月12日土曜日

ER


いよいよファイナル最終回になりました、ER救命病棟。
十なん年間走り続けて、15シーズンまで。
素晴らしい脚本に、人間性あふれる描写、生き生きとした演技、今までのないテレビ形式とカメラワークに、奥さんと一緒すっかりファンになり、毎週かからず楽しみにしていた。
いざと終わったら、お疲れ様と言いたいです。

2011年3月7日月曜日

心経

昨日映画試写会に行って来た、一昨年中国で大ヒットした映画唐山大地震というものだ。
今日は映画の話がともかく、気になるのがエンディングで流れる主題歌だ、歌ってるのは何年か前引退した人気歌集フィオンさんだ、透きとった歌声に、仏教音楽独特の大らかなメロディ、映画のテーマを一層高い境地に引っ張てくれた。
調べたら、彼女復帰後の仏教音楽、心経という。聞いたらココロを洗われたような気分。

2011年3月5日土曜日

つかず離れずの友人。

2011年3月3日木曜日

気になる

ある調査で、現代日本人は仏教に対する好感が80パーセントに対し、
お寺が20パーセント、お坊さんが12パーセントの好感度しかなかった。

2011年2月28日月曜日

仕事の流儀

仕事は熱意を伝えること。
ファッション業界広報PRのプロ、パイオニア、伊藤美恵さん。

PRというのは大金かけて、宣伝する訳じゃない、
少ない金て、人の心を動かす。
見せ方と伝え方で、商品が変わる。

2011年2月23日水曜日

日本と音楽

日本に着た最初の頃すこく不思議に思ったことがある。
毎日午後5時になると、公園や区役所のスピーカーから音楽が流れてることです。しかも区によってメロディが違う。
友人に聞いたら、子供たちをはやく家に帰ろうっと呼びかけるらしい、なんで優しいこころ使いだろうと感心した覚えがあった。
そして、今日もう一つの役割を知った、防災設備点検のためだと、日本は地震大国なので、万が一有事の場合、設備の不具合を防ぐため、毎日流し点検してると言う。お金かかるけど、政府にして頼もしいシステムだなとまた驚きを隠せない。

これ以外、普段の生活に音楽がいろんな所で、形で現れてます。
電車駅で車輌到着状況を知らせるための音楽、駅によってメロディが異なる。
商店会に入ると街灯に付いたスピーカーから軽やかな音楽を流されて、
店にはいるとまた各店の個性や、店主の好みにあう音楽が流れてて、人に穏やかな気持ちを与えた。
薬屋さんに元気な音楽、ラーメンやさんに西洋なジャズ、中華やさんに東洋音楽、バザールにテンポいい進行曲…

そして、なんと言ってもCDショップに入ると驚くのはあらゆる音楽ジャンルの商品が勢揃い、
日本人でよくこんなに多様な物を受け入れられるねってしみじみ感じてます、いつも。

2011年2月22日火曜日

2011年2月14日月曜日

キング・コン

今日はまた再放送のドキュメンタリーに釘付けだ。

アメリカ現在の食生体についての話、国が七十年代から農業の基本政策が減反から大量生産に切り替わる以来、国の補助金により、大量のトウモロコシなどの穀物が市場に溢れ、基因改良や防虫などの科学処理に重ねて、収穫した穀物が直接食い物になれなくて、単なる化学品生産基地になり、家畜の餌や、甘味料の原材料になっている。
高成長率の求め、農場中牛の餌が牧草からトウモロコシに変わった以来、牛の出荷周期が数年から4、5ヶ月に短縮したが、偏った餌と養殖方法により肉質のタンパク質がすくなり、脂肪が増えた。そらに牛たちも病になり、そこで餌にさらなる抗生物質を投入されていた。
また、砂糖よりはるかに安いトウモロコシから開発されたコーンシロップは、あらゆる炭酸飲料や、食品の甘味料として使われ、アメリカ人の甘味料摂取料が30%アップした。
アメリカ人がこういう大量生産で造られた食料により、肥満や糖尿病や心臓病に蔓延していると見られている。

自分毎日口にした食品がどういう物なのかを考えなきゃいけなよと思ったりした、
大量生産によりアメリカが一般の先進国の食料支出が収入の20%率より、遥かに安い、生活が裕福になっていた、ただ、これは正しい方向なのかを、考えさせてもらった。

2011年2月8日火曜日

白熱教室



昨年NHK放送された白熱教室をたまに深夜の再放送を見てたりして、ハーバド大学のブランド力の原因もあり、サンデルさんのパフォマンスとも言える授業形式と師徒の熱烈の弁論に惹かれた。その後ずっと忙し仕事の合間に再放送待ちながら、新年に迎えた。友人情報によると俺新年休みで国へ帰った間にテレビで再放送しれたらしく、録画のチャンスの逃しちゃったのがとても残念に思った。
休み終わり、本屋さんに行ってその解説本を買って、いま毎日読んでるこの頃。
そして、やっぱり素晴らしい内容なので、上海の知人らにもすすめた、もちろん向うの状況に応じ、ネット上の海賊版や、無料閲覧のサイトをすすめた。

2011年1月29日土曜日

イチローと糸井重里特別対談

昨夜友人と久しぶりの新宿に飲みに行って、終電間際の帰宅、妻もう寝た。
良く喋って程よくも飲んだので、すぐに眠れなくて、深夜のテレビを見てた。
そして朝方の遅い時間に、BSがイチロと糸井さんの対談番組を画面に映ってた、多分再放送だと思うんだ。野球わからないのでイチロにも興味がないだが、昔から糸井さんのファンなので、イントロを見てすぐ糸井さんの智慧を満ちた質問と話に惹かれ、ついつい見ちゃった。
まあ〜、長い対談だけど、睡魔と戦いながや、見てました。
でも、流石アスリートの二人で、飾りのないレベル高い話を盛りたくさん聞かされた、途中なんか所、思わず感心してしまうところも、感動した所もあった。

イチロが王賢治さんの人間性について
「なんという白な人だろうな、いろんなことを経験して、染められたはずなのに、最終的白の状態でいられるのは、彼の人間的な魅力に感心の言葉の述べた」

などなど

糸井さんの対談本を出ったら買うかなあと思った。

2011年1月26日水曜日

The tudors




今回国に帰った時、話題の海外ドラマのDVDをたくさん購入した。
BBC製作のローマや歌唱団、CBSなど連合製作したチューダ王朝など。
この中特にThe Tudors が素晴らしい。見始めた日から、たちまちに虜になって、4シーズン一気に見終わりたぐらい辞められなくて。正直ヤバイです。

ヒューマンドラマがもちろんだが、一番魅力と感じだのは全編のストーリ軸でもあり、チューダ王朝のヘンリー八世の歴史物語だった。当時のイングランドいかにローマ教皇統治下の国から、宗教改革をへって、欧州最強の資本国の基礎を作り上げたプロセス。各国の統治者と政治家たち、そして宗教統治者の間広げられた生々しい闘争を丁寧に描いてくれて、学者、信者、大臣、姫たちが時代に翻弄され、痛々しいかつ悲壮なストーリを思わず涙を奪われた。

ドラマの成功は編劇の成功は一要因だと思う、紹介だと最新の歴史研究と80%一致するぐらいの真面目な創作で、プラス役者さんたちのすばらし演技、衣装のデザイン、豪華な美術セット、全体クオリティの高さに感心した。