2010年5月31日月曜日

近所の風景






今年の梅雨入りを予測を発表された、やや例年より6月中旬になりそうって。ふっと気がついたら、もう半年過ぎて、時が経つのが年々早く感じるようだ。

この半年間よく近所の神社へお参りに行くようになった、精神的空虚なのか、通ったほうが気持ちが落ち着く。日常に追われる現代人には信仰が一つ慰めになるかも、どんな時代にも変わらないコトだなと最近よく思ったりした。

国内のある大手アパレル企業から人事オファーが来た、僕の経歴に興味があって、最近何回もメールのやり取りしたが、また直接電話で話たいって。これからはちょっと楽しみに。

2010年5月30日日曜日

日本企業の残念



この週末報道に賑わせたipad、新聞やテレビの評論が様々だが、気になるのは日本の技術者は十分の技術能力があるのに、なんでipadのような製品が創作するコトができなかっただろう。

iモードの育つ親夏野剛さんの意見がとても説得力がある。
まず、企業トップ達のリーダシプが足りなかった。企業技術者達の下からの積み上げ的な発想があるが、リーダ達が技術的に精通しなかったため、ビジョン作りやリーダシプが足りなかった。

まだ、日本人的な現段階における少しの改善が上手だが、一歩前の飛躍的な創造ができなかった。企業としては、どうしても常識的な平均的な意見を判断しがち、リッスク抱えてる発想には推進できなかったのだ。


2010年5月28日金曜日

屋上の眺め



午後の雨上がり、日射しが散々と照らし始めた頃、天空の雲がまだ完全に退去されず、乱れたまま遠くまで、ちょっと賑やかが雰囲気を演出した。時期もう初夏なのに、夕方になると空気がまだひんやり、体調に気をつけなきゃいけないけど、撮影には最高の気象だ。枯れる空気が眺めにとてもいいんだからだ。この一枚を屋上にのぼって納めた。


2010年5月27日木曜日

2010年5月26日水曜日

不雨花猶落、無風絮自飛





「雨ならずして花猶お落つ、風無くして絮自ずから飛ぶ」

2010年5月24日月曜日

永远的尹雪艳




白先勇《永远的尹雪艳》


尹雪艳总也不老。十几年前那一班在上海百乐门舞厅替她棒场的五陵年少,有些头上开了顶,有些两鬓添了霜;有些来台湾降成了铁厂、水泥厂、人造纤维厂的闲顾问,但也有少数却升成了银行的董事长、机关里的大主管。不管人事怎么变迁,尹雪艳永远是尹雪艳,在台北仍旧穿着她那一身蝉翼纱的素白旗袍,一径那么浅浅的笑着,连眼角儿也不肯皱一下。


孫文を支えた日本人と上海百年



孫文を支えた日本人 ~辛亥革命と梅屋庄吉~

上海百年家族 激動を生き抜く


先週末NHKのBS特集が二つドキュメンタリーを放送された。中国革命家孫文と彼の生涯を支えてた日本人資産家梅屋の物語。激変する時代背景の中、強い信念を持つ二人の友情と盟約、そして二人抱えてる理想の大アジア主義のための生涯を描いた。考えさせられた、半世紀前の日中志士たちは、波乱の世態の中、アジア諸国がいかに欧米帝国と対抗できるかを模索し、今ヨロパー連盟のようなアジア共同体を作ろうとしてた。結果は思わしくなかったものの、彼らの精神思想が素晴らしいものだとこころから感心した。

上海百年家族物語は前世紀の上海舞台に生き伸びてきた三つの家族の変遷を描いた。視点はとてもリアルで人間性溢れて、善し悪しを評論せず、ただ時代に翻弄された人々の心強さ懸命な姿に、ジワーと沁みてくる。
人類歴史の中、どの時代でも、どの政権でも、光あれば影あり。簡単の言葉で方付けるものではない。振り向いて反省するのも重要だが、なにより未来にたする情熱だと思った。

2010年5月19日水曜日

匂いのビジネス

最近よく耳にするにおいビジネルの話、新聞もテレビもわざわざ特集で報道され、気になる。
各業種の技術競争が限界に近い今、他社商品と区別し、いち早く消費者を捕まるように、視覚、聴覚以外、臭覚も活用して、販売促進を狙っているのだ。
以前日本社会の音に対する感想を触れたことがあったが、同じ道理、出来るだけ消費者の五感を使わせ、消費させる狙いだ。

競争激しい洗濯柔軟剤市場、各社ほぼ同じ技術の中、いい薫りをする商品が売れている、柔らかいと連想させるにおいが商品に付加価値与えるのだ。
パチンコ店内に柑橘系のにおい芳香剤を置くと、客が長く店内に滞在し、売り上げも伸びた。

経済活動を発達した社会には各領域の極限まで追求しながら、さらに新たな分野を開き、近い将来またいろんな未知を開かれるだろうと、考えるだけでわくわくする。

2010年5月17日月曜日

気に入り


この前BSの音楽番組がトランペット貴公子のボストンライブを放送してた。僕には初めてのトランペットなのび、すっかりその音にほれちゃって、気持ちよく最後まで見ていた。この一枚も購入予定。



セリーヌディオンのA new dayライブ映像がBlu-rey版も出たようで、アマゾンの評判も上々。ブルレー技術のおかげで空前のライブショーの臨場感がさらに増し、画質も音質もいいらしい。僕が既にDVD版を購入し、暇ある度に繰り返し見ていた。セリーヌディオンの歌がもちろん文句なしだけど、舞台ライティング、美術、演出まで、大変勉強になって、素晴らしい映像集だった。

2010年5月11日火曜日

時代の真実


BS特集番組の影響で、基づきの原作を読んでみだ。

龍馬に対する見解は今までと違って、混乱の時代背景で生きる龍馬の姿が論証されている。綿密の考査と推理を重ねて、なかなか説得力があり。
おすすめの面白い本です。

2010年5月9日日曜日

足利大藤



栃木の足利大藤が満開と聞き、天気も晴れ、二人行ってきた。
車で1時間ちょっと程度で、栃木なのに、意外の近さにやや驚き。
さすが藤の名所、様々の種類と老木の迫力に圧倒された、園内一の大藤が枝の広さ60畳にもあり、長く垂れ下がた藤の花がムラサキ色のグラデーションの屋根になり、異様なスケールに驚きばかり。
そして、藤の匂いまた独特であり、種類によって濃さが違い、風に吹かれ、園内至る所に甘い薫りが漂う。
園内のレストランで夕食をとったら、終わり頃、ライトアップが始まって、日差し下の藤と違い魅力が照らし出して、一層綺麗になったような気がする。


2010年5月8日土曜日

日本の海




ホームページを見て驚いたことに、日本排他経済水域が陸地面積12倍の海域を領有している。近年各隣国と国境線の争いが絶えないコト、やっぱり大人の事情的なコトで、誰も自国利益のため必死だ。

看日本与近邻国之间的国界线之争,日中之间有冲鸟岛问题,日韩之间有竹岛问题,日俄之间有北方四岛问题。大家都是为了扩充自己的控制领域,渔业 ,经济或是资源问题。各自为正,互不向让。
人类文明进至2010,可问题的最终,估计依旧是撑死胆儿大,饿死胆儿小。终究道不名谁是谁非。

2010年5月5日水曜日

利己主義の抑止力を置かず


昨日産経新聞正論の内容を気になる。
少し現実と離れて、学者っぽい見解だが、問題の根本からの意見だと思います。
そして、今の中国も似たような問題が抱えてる、現時点症状まだ現れてないが、いずれ波紋になるだろう。


利己主義の抑止力を置かず
人間は弱い。自律・自立・自己責任の重さに耐えきれず勝手な行動になりやすい。しかしそれを許さぬ抑止力として、欧米人は唯一最高絶対の神を置いてきた。キリスト教徒である。ただその信仰を持たないとい、抑制力を消え、勝手気儘な利己主義者となる……
東アジアにおける人々の感情そしては、依然として道理そしての家族主義がる。東アジアでは差族主義は自然法(道徳・慣行)的であり、個人主義は実定法(憲法など法律)的である。家族主義は法律を越え、死生観と結びついていることを感じており、そう簡単に捨て去る事ができない気持ちがある。では、その死生観とは何なのか。東アジアでは、人間としての道を保持させる抑止力として、各家は自己の祖先を置いたのである。祖先が許さぬーこの抑止力がわれわれの道徳心を培い、祖先の下にその家族・一族が団結してきたのだ。祖先祭祀がその家の宗教となり血縁者の絆となり、祖先から続く生命の連続を静かに、そして確かに体得してきたのである。
死によって己れの個体・肉体は消滅するが、己れの生命体(遺伝子)は子孫一族に受け続かれ残ってゆく。また精神的には、<祖先となる己れ>を子孫一族が祭祀してくれ、彼らの思い出の中に生き、忘れられることはない。
これは東アジアの家族主義の本質であり、それはわれわれの死生観であり、われわれの宗教となっている。家族主義はわれわれの心の奥底に存在し続けており、たとい個人主義のみを法律的に強要しようとしても、家族主義は容易に消え去る物ではない。因に、この家族主義は儒教に発するが、日本では日本仏教と融合してそこにおいて生きている。
しかし、戦後教育では上述のようなことを一切教えないできた。そのため、日本では宗教もそこから生まれる道徳も教育されないままできている……
(立命館大学教授 加地 伸行の『子虐待の原因は家族崩壊にあり』より)


2010年5月2日日曜日

晴れ晴れ

暖かい春の陽気、何年ぶりの一人の休み。
ベランタドアを大きく開き、春風が優しくカーテンを揺らす。
遠くから電車の行き来音が聞こえてくる、下の公園でハシャいでる子供達の声を混じて、
長閑な、東京近郊、ゆったりとした日曜午後の時間。