今月の頭頃、教育テレビの視点論点の番組で孔子復活という話を聞きました。
解説者は同志社女子大学朱捷教授、同じ中国人なのか、凄く胸に響く内容でした。
一週間待ちで解説内容のホームページ上にアップされた、早速転載させていただきました。
以下の内容です
今日は、孔子復活という題でお話しさせていただきます。
今年1月11日に、天安門広場の東側、中国国家博物館北門の広場に、高さ9.5メートルもある孔子の銅像が立ちました。場所が場所だけに、内外の注目を集めました。
奇しくも2011年は辛亥革命百年にあたる節目の年です。1911年に起きた辛亥革命は、中国最後の王朝にピリオドを打ち、中国を近代国家のレールに載せました。
数千年も続いた政治体制の崩壊は、もちろんそれだけにとどまりません。それに付随する価値観体系の解体も起こしました。孔子を象徴とする伝統的な儒教的価値観は、これを境目に下り坂の一途をたどります。
辛亥革命に続く新文化運動や1919年の五四運動はいずれも孔子をつるし上げ、伝統的な価値観体系を鋭く糾弾しました。
孔子の受難はほぼ1世紀もの長きにわたりました。儒教的価値観に対する糾弾は、1960年代から70年代にかけての文化大革命でふたたびピークを迎えます。
そして辛亥革命からちょうど100年が過ぎた年に、歴史の振り子が揺り戻されてきました。中国のGDPが日本を抜いて世界第二位に躍り出た2011年に、歴史の偶然というにはあまりにもタイミングがよすぎて、孔子が北京のど真ん中に立ったのです。
さらに歴史の皮肉といっていいのか、孔子の銅像は、死ぬ直前まで孔子批判に余念がなかった毛沢東の遺体が横たわる毛沢東記念堂のすぐ斜め向かいに立てられています。記念堂の中の毛沢東はどんな思いで見ているのでしょうか。
故ハーバード大学ハンチントン教授の著書『文明の衝突』に、1920年代の世界の勢力図が載っています。それを見ればわかるように、辛亥革命が起きたころの世界はほとんど、西洋文明の波に呑み込まれていました。アジア・アフリカの黒く塗っているところはみな、欧米に植民地化されていました。中国は植民地化される一歩手前でぎりぎりに踏みとどまるのに精一杯でした。
西洋文明の大波に立ち向かうためには、西洋文明と同じ文明の利器を手にしないといけないと誰しも思い、自らの文明の鎧を脱ぎ捨てるのに躊躇がありませんでした。漢字すら廃止されようとしていたなかで、孔子の受難はいわば必然のことでした。
しかし、西洋文明の利器を手にした引き替えに、価値観体系が解体し、それによって心に大きな穴が空いてしまったことなど、失ったものの方も大きかったのです。その意味において、孔子の受難は中国人の心の受難でもありました。
そして百年後、経済の躍進をなしとげたいま、中国が抱えるもっとも大きな課題は、解体された価値観体系の再建です。心に空いた穴の大きさや深さは、GDP世界第二位に躍り出たいまこそ、身に染みて感じられています。
しかし、価値観体系の再建は、単純にもとの価値観体系に戻ればいい話ではありません。西洋文明の価値観体系を自らの中に取り入れて融合させて、両者の対立を乗り越えたうえ、新たな価値観体系を創出することができるかどうかが問われます。ここで必要とされるのは、包容力に富んだ儒教の智恵であるように思われます。
『論語』には、つぎのような孔子と弟子の対話がありました。
子夏(しか)問うて曰(い)わく、巧笑倩(こうしょうせん)たり、美目(びもく)盼(はん)たり、素(そ)以(も)って絢(あや)を為(な)すとは、何の謂(い)いぞや。子(し)曰わく、絵の事は素(しろ)きの後(のち)にす。曰わく、礼は後(のち)か。子曰わく、予(わ)れを起こす者は商(しょう)なり。始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。(「八佾第三」)
弟子の子夏は、詩経の一節、「巧笑倩たり、美目盼たり、素以って絢を為す」の意味について尋ねました。もともとは君主の奥方の美しさを讃えた詩であり、笑う口元のあでやかさ、ぱっちりとした目の美しさを白き絹に描くという意味でした。
弟子の問いに孔子は、絵というのは白い生地のうえに描くのだよ、と答えました。すると、弟子は、それでは教養の順序でも礼についての勉強はあとの方でするのですか、とまた質問しました。この弟子の言葉が孔子をすっかり喜ばせました。おまえとこそ詩を論じることができるのだ、とべた褒めしました。
なぜなら礼は社会生活にかんする規則や規範で、人間の理性に働きかけるものです。美人を絵によっていっそう際ただせるのに、白い絹の生地を用意しなければならないように、理性にかんする勉強も豊かな感性や情感を備えてからの方がよい、と孔子は言いたかったのでしょう。
儒教は堅苦しい礼儀作法だと誤解されがちですが、この対話からもわかるように、孔子が考えていた礼、いいかえれば行動基準についての人間の理性は、豊かな感性や情感にねざしていたのであります。
これは、つぎの孔子の言葉にも見て取れます。
子曰わく、詩に興(お)こり、礼に立ち、楽に成る。(「泰伯第八」)
人間形成において、まず詩を習い、豊かな感性を身につける。そのつぎのステップとして理性にかかわる礼を学ぶ。最後に音楽を学び、感性と理性をひとつに融合させるのです。
このような感性にねざして、感性によって統合される音楽的な知のことを、孔子は別のところでこう語っています。
子曰わく、之(これ)を知る者は之を好む者に如(し)かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。(「雍也第六」)
あるものを知っている時点では、そのものはまだ自分の外にあり、理性のレベルにとどまっています。好むようになると、ものは感性に響くようになり、感性と理性は歩み寄ります。さらにそれを楽しむことができるようになると、ものと自分の距離がなくなり、完全にひとつに融けあうことになります。ここにいたってはじめて究極の知が完成されるということです。
このような儒教的な知は、理性が優位に立つ知ではなく、感性にねざしつつ感性と理性、肉体と精神の融合を目指す知であり、非常に包容力に富んだものです。
中国がいま直面しているジレンマは、個人主義から欧米式政治体制まで含む西洋文明の価値観体系をそのまま移植するわけにもいかず、かといって親孝行をベースとする家父長制社会に戻るわけにもいかない、ということにあるでしょう。
西洋文明の植民地を免れようとして、中国人が自らの文明の鎧を脱ぎ捨て手にした武器は社会主義でしたが、気づいてみれば、その社会主義も西洋文明の産物でした。
社会主義と資本主義は近代西洋文明が生んだ一卵性双生児なので、いまここで社会主義から資本主義に乗り換えても、中国にとって近代の超克を実現することにはなりません。
それに、近代西洋文明が中国文明にない長所をたくさんもっていることは、いうまでもありませんが、西洋文明の欠陥や限界が西洋人自身の目にも見えてきたいま、単純に西洋文明の価値観体系をそのままとりいれることは、中国にとって選べない選択肢でしょう。
むしろ現代が直面する人間の心の危機や人間と環境との危機などさまざまな危機に、感性と理性、肉体と精神の融合を目指す儒教的智恵が見直されるべきと考える人が増えています。
融合性、包容性の高い儒教的知恵に立ち返って、伝統的価値観体系と西洋文明の価値観体系との融合をはかり、新しい価値観体系を生み出すことは、中国にとってベストの選択になるかもしれません。
そのためには、伝統から新たな創造力を汲み取る、21世紀のルネッサンスが必要とされるでしょう。このタイミングに孔子が戻ってきました。この孔子の復活が21世紀ルネッサンスの兆しとなれれば、と期待したいところです。
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