2011年5月31日火曜日

ホタル狩り

そろそろホタル舞う季節をやってきる、先週から気象庁が関東地区梅雨入り発表し、東京西の山沿いまで近いうちに足延ばそうと、思うだけでわくわくして来た。

ネット上minoltanさんのブログから綺麗なホタル写真を

晴れる

あれ以来数えたらもう半年経った、未だに未解決のまま日にちを流れている。
不安が徐々に底からじんわり沸き上がってきて、時に溺れそうに、そして麻痺してしまいそうで。
振り向く、我が人生が一定の時期でこの状況が現れていた、当時どう打破したか、記憶がない、などなく流れてなんにかと巡り会えた。

今回はパートナーの支えがあって、ここまで出来た。
言葉に言い出したことがないが、ココロから感謝をしてます。いつかが恩返しを…
そして、早く晴れ晴れるように。

2011年5月27日金曜日

近代中国に君臨した女たち



BSまた面白いシリーズをやってます。近代中国に君臨した女たち
中国の歴史人物だけど、政治理論などいろいろの関係で中国国内テレビが出来ない視点と観点が結構あって、なかなか新鮮かつ客観的でもあります。

個人的に第三回と第四回は面白かった、歴史好きな自分にも知らないエビソードや何個があって、その時代に翻弄された女達の全面像を見えたような気がする。

2011年5月18日水曜日

廃仏毀釈

自分の勉強不足で、「廃仏毀釈」という言葉知ったのがついこの間のことだった。

BS知らせざる在外秘宝の番組で、時代に翻弄された浮き絵師たちの話を聞き、驚いた事に今まで明治維新という言葉にマイナスのイメージをばかりに、実に陰に伝統文明を否定するような運動や、風潮が数あります、そしてその結果は西洋文明に目を向くばかりに、自らの文明財産を惨めな待遇に会いて、大量に海外に流失してしまったのです。同時に廃仏毀釈も起こっていたいました。
残念な事に、我が国にも近代社会になった時期に同様なことを起こりました。
愚かな人間は、みんな同じだなと思いました。

孔子復活(中译)

試して、先日の日本語版の「孔子の復活」を中国語に訳しました、
序でに国内の友人らにみせるつもりです。

孔子的话题。
今年1月11日,在天安门广场,中国国家博物馆北门广场东侧安置了一座高9点5米孔子塑像。因为这个特殊位置而引起外界的关注。
巧合的是2011年是辛亥革命百年纪念。发生在1911年的辛亥革命,推翻了中国历史上最后一个王朝,把中国推上了现代国家的轨道。持续了数千年的政权垮了台,同时附之其上的价值观体系也随之瓦解。以孔子为代表的儒家传统价值观,因此被迫进入低谷。辛亥革命后,新文化运动和1919年五四运动都将孔子树为典型,尖锐谴责传统价值体系。如此,孔子的批判持续了一个世纪。20世纪60年代和70年代文革时期,对儒家的价值观的否定更是达到了高潮。
辛亥革命后整整100年,历史的钟摆再次回到原位。中国的GTP跃升世界第二的2011年,也许是历史的巧合,这个时期孔子再次站立在了中国北京的正中心。更讽刺的是这个孔子像,竖立在临死前都在批判他的毛泽东​​的纪念堂斜对面。不知道躺在纪念堂里的毛泽东是怎么想的了。

已故的哈佛大学教授亨廷顿在著作[文明的冲突]一书里,刊载着20世纪20年代当时世界各国在势力图。如示,辛亥革命时期的世界已经被西方的文明浪潮所吞没。亚洲和非洲等被涂成黑色的地方,已被开拓成了殖民地。中国也被逼到了殖民化的边缘。
为了与西方文明对抗,每个人都极力想拥有与西方文明同等力量的文明在手,为此他们毫不犹豫地抛下自己的传统文明的盔甲。看看当时的中国,连汉字都有被废止的危险,孔子的受难也是必要性的结果了。然而接手西方文明,换之自己的价值观体系的瓦解,同时也是心灵的迷失,这个损失是巨大的。在这个意义上说,孔子的灾难也是中国人心灵上的灾难。

一百多年后,达成了经济飞跃的中国面临的重要问题是,被解体后的价值观体系的再建。正因为GTP升至世界第二位的现在,心灵上的漏洞才更加明显,也更有切身的体会。可是,价值体系的重建并不是说返回到原来的价值体系,这么简单的问题。通过与西方价值观的融合,弥补两者之间的对立冲突,创造出新的价值观体系才是关键。这里需要的是儒家思想的宽容和智慧。

论语里有孔子及其弟子这样的对话。
子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、素以爲絢兮、何謂也、子曰、繪事後乎、子曰、起予者商也、始可與言詩已矣。子夏就诗经的一节[巧笑倩兮、美目盼兮、素以爲絢兮、何謂也]求教孔子。本来这是首君王赞美妻子诗​​歌,白绢上描绘妻子迷人的微笑,美丽明亮的双媚。孔子回答说,画是画在白色的绢绸上的。于是有门徒问道,教养的顺序是先学礼仪还是先学习知识。孔子很高兴这个弟子疑问并称赞道,看来你可以和我探讨论诗了。

孔子是想说,礼仪是社会生活的规则规范,是作用与人类的理性。就像画美人图,为了凸显美人,就必须在白色的绢绸上作画。理性的学习也是要在具备了丰富的情感和灵敏度之后才能修道的。
儒家经常被误认为是僵硬的礼仪形式,从这个对话中可以看到,孔子思想里的礼仪,换言之人类的理性行为,是以丰富的情感和灵敏度为基础的 。

从孔子的其它的篇章里也说道。在人的成长,首先要学习诗歌,培养丰富的情感。其次的步骤才开始学习理性的礼仪。最后学习音乐,将感性和理性融合。

子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者。
认知了一个事物的时候,起初还只停留在表面,所谓理性的阶段。
等你开始喜好它,事物的感性反映,感性和理性才开始结合。
再进一步喜好的话,自己和事物将会和二为一。在此你才开始对其有了一个完整的知识。如此儒家的智慧,并不是理性主宰,以感应为基础的理性与感性,身体和思想想融合的智慧,是非常具有包容力的。

中国目前面临的困境是,无法简单的将西方社会的个人主义,政治体制,以及西方文明的价值观体制原封不动的移植而来。但也不能返回到父权社会的体制下再提倡忠孝之道。为了避免沦为西方文明的殖民地,中国人主动地脱下中华文明的盔甲,穿上社会主义装备,但它多少也该知道,所谓的社会主义其实也是西方文明的产物。
社会主义和资本主义是源自近代西方文明的同卵双胞胎,世道今日再从社会主义象资本主义转变,对现在中国来说是个试炼。
而且,尽管近代西方文明有许多中华文明无法比拟的长处,但西方文明自身的缺陷和限度,已被西方人所广泛认知。如果此时依旧单纯的导入其价值观,该不是中国的明智选择。
现代社会所面临的心灵上的,人类与环境的各种人类危机,儒家的所推崇的理性和感性,肉体和精神的融合,被越来越多的人所注目。
再次重视儒家思想融合,包容的高度智慧,平衡融合传统价值观体系和西方文明的价值体系,才能产生新的价值体系,它可能是中国最好选择。
要做到这一点,需要从传统中汲取新的创造力,需要一个21世纪的文艺复兴,恰恰在这个时期孔子复归了。孔子的复归是否是21世纪文艺复兴的先兆,这一切令人期待。

2011年5月17日火曜日

孔子復活


今月の頭頃、教育テレビの視点論点の番組で孔子復活という話を聞きました。
解説者は同志社女子大学朱捷教授、同じ中国人なのか、凄く胸に響く内容でした。
一週間待ちで解説内容のホームページ上にアップされた、早速転載させていただきました。
以下の内容です
今日は、孔子復活という題でお話しさせていただきます。
今年1月11日に、天安門広場の東側、中国国家博物館北門の広場に、高さ9.5メートルもある孔子の銅像が立ちました。場所が場所だけに、内外の注目を集めました。

奇しくも2011年は辛亥革命百年にあたる節目の年です。1911年に起きた辛亥革命は、中国最後の王朝にピリオドを打ち、中国を近代国家のレールに載せました。
数千年も続いた政治体制の崩壊は、もちろんそれだけにとどまりません。それに付随する価値観体系の解体も起こしました。孔子を象徴とする伝統的な儒教的価値観は、これを境目に下り坂の一途をたどります。
辛亥革命に続く新文化運動や1919年の五四運動はいずれも孔子をつるし上げ、伝統的な価値観体系を鋭く糾弾しました。
孔子の受難はほぼ1世紀もの長きにわたりました。儒教的価値観に対する糾弾は、1960年代から70年代にかけての文化大革命でふたたびピークを迎えます。
そして辛亥革命からちょうど100年が過ぎた年に、歴史の振り子が揺り戻されてきました。中国のGDPが日本を抜いて世界第二位に躍り出た2011年に、歴史の偶然というにはあまりにもタイミングがよすぎて、孔子が北京のど真ん中に立ったのです。
さらに歴史の皮肉といっていいのか、孔子の銅像は、死ぬ直前まで孔子批判に余念がなかった毛沢東の遺体が横たわる毛沢東記念堂のすぐ斜め向かいに立てられています。記念堂の中の毛沢東はどんな思いで見ているのでしょうか。
故ハーバード大学ハンチントン教授の著書『文明の衝突』に、1920年代の世界の勢力図が載っています。それを見ればわかるように、辛亥革命が起きたころの世界はほとんど、西洋文明の波に呑み込まれていました。アジア・アフリカの黒く塗っているところはみな、欧米に植民地化されていました。中国は植民地化される一歩手前でぎりぎりに踏みとどまるのに精一杯でした。
西洋文明の大波に立ち向かうためには、西洋文明と同じ文明の利器を手にしないといけないと誰しも思い、自らの文明の鎧を脱ぎ捨てるのに躊躇がありませんでした。漢字すら廃止されようとしていたなかで、孔子の受難はいわば必然のことでした。
しかし、西洋文明の利器を手にした引き替えに、価値観体系が解体し、それによって心に大きな穴が空いてしまったことなど、失ったものの方も大きかったのです。その意味において、孔子の受難は中国人の心の受難でもありました。
そして百年後、経済の躍進をなしとげたいま、中国が抱えるもっとも大きな課題は、解体された価値観体系の再建です。心に空いた穴の大きさや深さは、GDP世界第二位に躍り出たいまこそ、身に染みて感じられています。
しかし、価値観体系の再建は、単純にもとの価値観体系に戻ればいい話ではありません。西洋文明の価値観体系を自らの中に取り入れて融合させて、両者の対立を乗り越えたうえ、新たな価値観体系を創出することができるかどうかが問われます。ここで必要とされるのは、包容力に富んだ儒教の智恵であるように思われます。
『論語』には、つぎのような孔子と弟子の対話がありました。
子夏(しか)問うて曰(い)わく、巧笑倩(こうしょうせん)たり、美目(びもく)盼(はん)たり、素(そ)以(も)って絢(あや)を為(な)すとは、何の謂(い)いぞや。子(し)曰わく、絵の事は素(しろ)きの後(のち)にす。曰わく、礼は後(のち)か。子曰わく、予(わ)れを起こす者は商(しょう)なり。始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。(「八佾第三」)
弟子の子夏は、詩経の一節、「巧笑倩たり、美目盼たり、素以って絢を為す」の意味について尋ねました。もともとは君主の奥方の美しさを讃えた詩であり、笑う口元のあでやかさ、ぱっちりとした目の美しさを白き絹に描くという意味でした。
弟子の問いに孔子は、絵というのは白い生地のうえに描くのだよ、と答えました。すると、弟子は、それでは教養の順序でも礼についての勉強はあとの方でするのですか、とまた質問しました。この弟子の言葉が孔子をすっかり喜ばせました。おまえとこそ詩を論じることができるのだ、とべた褒めしました。
なぜなら礼は社会生活にかんする規則や規範で、人間の理性に働きかけるものです。美人を絵によっていっそう際ただせるのに、白い絹の生地を用意しなければならないように、理性にかんする勉強も豊かな感性や情感を備えてからの方がよい、と孔子は言いたかったのでしょう。
儒教は堅苦しい礼儀作法だと誤解されがちですが、この対話からもわかるように、孔子が考えていた礼、いいかえれば行動基準についての人間の理性は、豊かな感性や情感にねざしていたのであります。
これは、つぎの孔子の言葉にも見て取れます。
 子曰わく、詩に興(お)こり、礼に立ち、楽に成る。(「泰伯第八」)
人間形成において、まず詩を習い、豊かな感性を身につける。そのつぎのステップとして理性にかかわる礼を学ぶ。最後に音楽を学び、感性と理性をひとつに融合させるのです。
このような感性にねざして、感性によって統合される音楽的な知のことを、孔子は別のところでこう語っています。
子曰わく、之(これ)を知る者は之を好む者に如(し)かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。(「雍也第六」)
あるものを知っている時点では、そのものはまだ自分の外にあり、理性のレベルにとどまっています。好むようになると、ものは感性に響くようになり、感性と理性は歩み寄ります。さらにそれを楽しむことができるようになると、ものと自分の距離がなくなり、完全にひとつに融けあうことになります。ここにいたってはじめて究極の知が完成されるということです。
このような儒教的な知は、理性が優位に立つ知ではなく、感性にねざしつつ感性と理性、肉体と精神の融合を目指す知であり、非常に包容力に富んだものです。
中国がいま直面しているジレンマは、個人主義から欧米式政治体制まで含む西洋文明の価値観体系をそのまま移植するわけにもいかず、かといって親孝行をベースとする家父長制社会に戻るわけにもいかない、ということにあるでしょう。
西洋文明の植民地を免れようとして、中国人が自らの文明の鎧を脱ぎ捨て手にした武器は社会主義でしたが、気づいてみれば、その社会主義も西洋文明の産物でした。
社会主義と資本主義は近代西洋文明が生んだ一卵性双生児なので、いまここで社会主義から資本主義に乗り換えても、中国にとって近代の超克を実現することにはなりません。
それに、近代西洋文明が中国文明にない長所をたくさんもっていることは、いうまでもありませんが、西洋文明の欠陥や限界が西洋人自身の目にも見えてきたいま、単純に西洋文明の価値観体系をそのままとりいれることは、中国にとって選べない選択肢でしょう。
むしろ現代が直面する人間の心の危機や人間と環境との危機などさまざまな危機に、感性と理性、肉体と精神の融合を目指す儒教的智恵が見直されるべきと考える人が増えています。
融合性、包容性の高い儒教的知恵に立ち返って、伝統的価値観体系と西洋文明の価値観体系との融合をはかり、新しい価値観体系を生み出すことは、中国にとってベストの選択になるかもしれません。
そのためには、伝統から新たな創造力を汲み取る、21世紀のルネッサンスが必要とされるでしょう。このタイミングに孔子が戻ってきました。この孔子の復活が21世紀ルネッサンスの兆しとなれれば、と期待したいところです。

2011年5月14日土曜日

微博

最近经常使用中国@围脖@,和远隔千里的国内的友人朋友们,同时间的交流,很是有趣和刺激。国内的文人墨客,和有名没名的人都积极地发布,对情报信息地获得来说到是个捷径。省了我不少事儿。
有优秀的文章和小感,也有精美的照片和影像,更有丰富的幽默或小品。
今天就截到两个小玩意儿!



中国版トランスフォーマ

中国北部の町にある芸大学生の卒業作品を繁華街に展示されてます。
中国人なら誰でも知ってる「解放車」をモチーフしたので、外見から親しみがある。頭の部分が三国志の関羽をモチーフし、少々無理がある。
だが、全体の完成度もかなり高くて、クール!と思います。





2011年5月9日月曜日

静かな山奥





大型連休の最終日ふたりで山の奥を行きました。春を探しに。
東京西部八王子や青梅市あたりの山に、お寺が数多く点在し、都心の寺と違い、雄大の山々を借景し、静かな佇まいが特徴で。敷地に入り途端、穏やかな気分になれます。

山に万編なく埋め尽くすツツジの花、錦繍のように彩る。

寺裏庭で静かに、気品高く咲いているボタンの花。
もしその美しい容姿を人にら見れず、寂しい思いをさせただろうかと密かに思ったりした。

裏庭の小径、毎日静かに登り、花や草、樹木に降り注ぐ柔かな光り、虫や昆虫だちはここの住民、小鳥は常連、人間なら邪魔者になる、という気持ちの感じがした。

2011年5月7日土曜日

ツツジ


青梅市の塩船観音寺公園までツツジを見に行った。
何年か前行った事があったが、ややシーズンを遅れて、綺麗ではなかった。
どころで、寺のお坊さんの話によると今年の色合いは史上最高の出来だそうで。
丁度空が曇りで、明るめの、忠実に濃厚な色合いを再現できた。
何枚か写真を撮りました。

2011年5月5日木曜日

新番組


このシーズンから始まったNHKの新番組、新日本風土記を拝見しました。
素晴らしい風光とわかりやすいナレーションでついつい見てしまった。
特に最近二三日前放送した城の特集、これからも注目するでしょう。

2011年5月1日日曜日

久々の自己撮り

ipad2を購入後、この二三日休みを利用して存分に楽しんでいる、今日アプリで変顔を何枚が撮りました、子どもっぽいと思って最初いじらなかったが、やり始めるとなかなか思い白いものだ。そして調子に乗ってフェスブックや、MSNの写真を一気に変顔に変更した。ははは。