2010年5月5日水曜日

利己主義の抑止力を置かず


昨日産経新聞正論の内容を気になる。
少し現実と離れて、学者っぽい見解だが、問題の根本からの意見だと思います。
そして、今の中国も似たような問題が抱えてる、現時点症状まだ現れてないが、いずれ波紋になるだろう。


利己主義の抑止力を置かず
人間は弱い。自律・自立・自己責任の重さに耐えきれず勝手な行動になりやすい。しかしそれを許さぬ抑止力として、欧米人は唯一最高絶対の神を置いてきた。キリスト教徒である。ただその信仰を持たないとい、抑制力を消え、勝手気儘な利己主義者となる……
東アジアにおける人々の感情そしては、依然として道理そしての家族主義がる。東アジアでは差族主義は自然法(道徳・慣行)的であり、個人主義は実定法(憲法など法律)的である。家族主義は法律を越え、死生観と結びついていることを感じており、そう簡単に捨て去る事ができない気持ちがある。では、その死生観とは何なのか。東アジアでは、人間としての道を保持させる抑止力として、各家は自己の祖先を置いたのである。祖先が許さぬーこの抑止力がわれわれの道徳心を培い、祖先の下にその家族・一族が団結してきたのだ。祖先祭祀がその家の宗教となり血縁者の絆となり、祖先から続く生命の連続を静かに、そして確かに体得してきたのである。
死によって己れの個体・肉体は消滅するが、己れの生命体(遺伝子)は子孫一族に受け続かれ残ってゆく。また精神的には、<祖先となる己れ>を子孫一族が祭祀してくれ、彼らの思い出の中に生き、忘れられることはない。
これは東アジアの家族主義の本質であり、それはわれわれの死生観であり、われわれの宗教となっている。家族主義はわれわれの心の奥底に存在し続けており、たとい個人主義のみを法律的に強要しようとしても、家族主義は容易に消え去る物ではない。因に、この家族主義は儒教に発するが、日本では日本仏教と融合してそこにおいて生きている。
しかし、戦後教育では上述のようなことを一切教えないできた。そのため、日本では宗教もそこから生まれる道徳も教育されないままできている……
(立命館大学教授 加地 伸行の『子虐待の原因は家族崩壊にあり』より)


0 件のコメント:

コメントを投稿